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2009年9月9日〜9月18日 10日間 2009年3月にカンボジアから帰って、すぐに秋には次にメキシコに行くことに決めた。ところがそのメキシコで新型インフルエンザが発生した。また通常、外国に行くときはその国に関する本を20冊以上読むことにしているが9月はじめ時点ではまだメキシコの本は10冊程度しか読んでいなかった。さらにこの際スペイン語も学習しておこうと思って西和・和西辞典も購入してスペイン語入門も読み始めたがとても間に合わないし、夏以降また新型インフルエンザが流行しはじめた。そんなこんなで、とりあえずメキシコはやめて別の国に行くことにした。1年半前にドイツに行く途上で北京によったので、この際北京をしっかり見ようと思った。中国はとなりの国なのですでに多くの本を昔から読んでいるし、毒入りギョウザや農薬漬け野菜、鉛入り塗料、上海総領事館襲撃、チベット弾圧、ウイグル人問題などよくわかっているので事前学習はほとんど不要と考えたからだ。9月3日に思い立ち4日に図書館でガイドブックを借り読み、いけると思い5日に航空券を買った。過去最速決定だ。10月1日に建国60周年なので警備がきびしいだろうし、テロでもあったら目もあてられない。なるべく早く行く必要があった。結局この季節が北京では一番すごしやすい季節だということを彼らは言っていた。日中は歩き回っていると少し汗ばむ程度で湿度が低いのでさわやかだった。北京も西安も内陸なので夏は非常に暑く、冬は厳寒であるという。西安ではホームレスの人を大勢みたが冬を越せるのだろうか。夜になると繁華街から少しはずれたビルの玄関に何人も寝ていた。北京では住宅街フートンの中の四合院スタイルのホテルに宿泊し外国人の多い繁華街に近かったのでホームレスの人がいるのかどうかはわからなかった。首都なので強制排除されているのではないだろうか。 なおこの時期の為替レートは1人民元、約16円。またこの中国旅行記では個人の顔がわかる程度の写真では目線を黒か白の帯でかくして識別不能にしてある。トラブル防止、スキを見せないためだ。
四合院のホテル。中庭がレストランのカフェテラスにしてある。
横に広がる客室の平面図 孫文なのか、銅像が飾ってある。 航空券を買ってから北京だけではもったいないと思い、いろいろ調べたが国が広いので近くの世界遺産観光地でもすぐ200キロ、その次は400キロも離れている。鉄道では6時間から10時間もかかる。切符は非常に取りにくい、3日前に発売されるがすぐに売り切れらしい。日本のようにその日に買うなどということはとても無理。また始発駅でないとほとんど買えないらしい。鉄道はあきらめた。いっそのこと飛行機で移動しようと考え、それならぜひ兵馬俑を見ようということで西安(昔の長安) にも行くことにした。すると10日間では少したりない。12日間にしておけばよかったと思ったが後のまつり、航空券は変更でない。結果として西安4日間(12〜15日)、残りは前後を北京とした。 ある国やその国民、民族をステレオタイプで一定の均一評価をすることは偏見や民族差別、人種差別につながるので排除しなければならないとは思う。しかしその政権は十分、評価批判しても問題はない。特定の問題で、実際の行動や政策に対するものだからだ。邪悪な政権などによって被害を受けているのはその国の人のほうだからだ。そういう意味で世界にはいろいろな国があり、ひどい国も多くある。ぼくが考える最低政権国は北朝鮮、イスラエル、ミャンマー、中国の順である。このうち北朝鮮、イスラエル、ミャンマーは一般人が行くことはできない、とても危険な国だ。特に北朝鮮とミャンマーは独裁がひどくて国民は苦渋の生活をしている。(その後一定の民主化にされた。) イスラエルはパレスチナ人やレバノン、以前にはエジプトなどに攻撃を加えた人殺し、非人道的兵器使用が通常の殺人国で国民の多数もその政権を支持している非人道国民の国であるし、不法占領もしている。神との約束の地カナンは冥王星にあるのだろう。地球から出て行け。 ぼくは今まで20カ国を越える国に行った。それぞれ腹のたつこともあったが全般的に好意を持ち、それぞれわずか1〜2週間の滞在ではわからないことも多いが良い印象を持った。特にぼくは旅行会社が観光地もセットする「お膳立て旅行」ではエジプト以外に行ったことがなく、自分で手配したり交渉して行くので相手がわかるし、その国の町中を歩いて食べたり、見たり話したりするので比較的、生に接しているつもりだからお膳立て旅行よりは現地を理解できると思う。 当然レストランでの注文や支払も自分するので服務員にも接する。各種施設の入場料も自分で払いチケットを買うので相手の態度にも触れる。現地ツァーで行くにしても申し込みは自分でして内容の確認や終わったあとの抗議もする。タクシーやバス、地下鉄も自分でするからどういうものかわかる。 日本は過去に中国などに残虐なことをしたが、今回、中国に行って初めて侮蔑すべき国という結論が出た。政権ではワースト4 だと思っていたが国民意識と政権双方の総合力で世界最悪の国という結論である。こんな国が隣にあり、13億人のうち12億人以上が漢民族、世界人類の約5・5人に1人が漢民族だということに恐怖を感じる。彼らはすでに何世紀も前から華僑として東南アジアを中心に進出して経済を支配している。タイでは王室以外の財閥はすべて華僑であると言われる。シンガポールはマレー半島先端の島を事実上華僑がのっとった国だ。リークアンユーは1989年の天安門弾圧事件も自分なら同様のことをすると述べている。インドネシアではチナと言えば、がめつい華僑を敵視した蔑称である。マレーシアではブミプトラ政策(民族差別政策ではあるので批判はある。)で華僑の台頭を抑えようとしている。漢民族の強欲、特に政府の強欲を今回実感した。全人類共通の不倶戴天の主敵と言ってもいい独裁国だ。 なお今回、ぼくは別に中国のアラさがしに行ったわけではない。当初、列に割り込まれても人間のあふれる中国ではこうでもしないと蹴落とされるのだろうと許していたがあまりにひどいので割り込まれたら必ず抗議 (ただし中国語を知らないので英語で怒鳴った。こっちが怒っているぐらいはわかるだろう。) して割り込んだバカを腕で退けた。ぶん殴ってやりたいところだが他国で暴力をふるえば負けるのはわかりきっているのでできない。博物館でチケットを買えばチケット係は新聞を読みながら、おつりとともに窓口の手前に投げ出し顎をしゃくって持ってけというゼスチャーをするので、さらに怒鳴りつけてやる。腹の立つ不愉快な国であるということを実感した。まあ13万人ぐらいは善人もいるかもしれない。その程度の印象だ。 今回の旅の目的は世界遺産を見ることである。すべて古い中国の遺産である。 1 万里の長城 - (北京1987年、文化遺産) 2009/9/11見学 6つの世界遺産を訪問できた。これでぼくが行った世界遺産は55カ所になった。 働きはじめたころ、関連会社のはいるビルの向かいのビルに「頤和園」という中華料理屋があったがそれが北京で有名な公園の名だと知ったのはかなり後のことだ。 良い点 まず少ないが良い点を述べておく。公衆便所が非常に多い。最初なぜこんなに多いのかと思った。胡同(フートン)を歩けば100mにひとつはある。繁華街は少ないがレベルはよい。住宅街たるフートンでは便器のみで手を洗う水道もないところが多い。結局フートンには各戸に便所がない、または非衛生的なので公衆便所を作ったとしか考えられない。フートンには四合院といって中庭を真ん中に四方を建物が囲んだ家が多い。その中庭にも家を建てて密集して住んでいる。ぼくは他人の家には入れないので確認したわけではないがかなりつめた家が四合院の門から見ると建っている。便所はもともとの四合院にはあるかもしれないが中庭に増築して住んでいる人たちは便所はないだろう。朝散歩中に公衆便所にはいると、しきり壁の高さが1mぐらいの大便器まるみえで数人が用をしながら話をしているのでとても小便であっても使用する気にならず出てきてしまう。
次に電動バイクばかりだ。スポーツタイプでも電動である。最初あまりに音が静かですーっと近づいてくるので気がつかない。音がしないのでどういうエンジンだろうと思ったがバッテリーを積んでいる。聞くと電動モーターバイクだという。大気汚染が進んだので電動にしたのだろう。エンジンバイクも見かけたがほんの一部だった。99%は電動だろう。電動リヤカーもありフートンのような狭い道では有効な乗り物だ。これだけの普及率からいうと北京オリンピックを前に2,3年で切り替えたのではなく、かなり以前からではないかと思う。CO2、NOX削減には効果的である。 トロリーバス。北は北三環中路、南は南三環中路の範囲に架線があるように思った。東西の範囲は不明。 また案外大きな交差点でも静かである。日本の大交差点では青になると各車線いっせいにレースのようにスタートするのでうるさいがそれがない。1つは電動バイク、そしてトロリーバス。またクラクションを鳴らすのはやめるよう強い指導があったのだろう。ただ渋滞するとクラクションだらけになる。クラクションをいくら鳴らしたところで何十メートルも渋滞していれば無駄なことだとわかるはずなのに鳴らし続ける。バカなことだ。日本に帰ってから確認したが日本では渋滞だからといってクラクションを鳴らし続けるバカはいない。静かなのは北京だけで西安に行ったらどの交差点もクラクションとエンジンふかし音で騒音の中だ。 道路は広く幹線で片側2車線は当たり前、日本ではほとんど廃止した緩速車線というような街路樹で区分けした側道車線つきはさらに広い。名古屋には100m道路というものがあるが北京中心部では幅200m道路といえる道路がいっぱいある。さらに将来の拡幅のためセットバックが両側に20mぐらいある道路もかなりみた。 モラル 中国人には道徳的規範がないのではないか。あるとすればどこでもあふれるほどいる人の中で遠慮していたら、だしぬかれっぱなしになるとでもいえる人生訓だろう。最初列へ割り込まれたりしても、まあしょうがないと思っていたがあまりにひどく、割り込む やからを押しもどしても割り込んでくる。英語ではあったが文句を言えば言葉のニュアンスで抗議していることがわかろうと思うのだが、平気なもので群がってくる。はえといっしょだ。はえ叩きでたたいてやりたくなる。 文化大革命であらゆる宗教施設をぶち壊したらしいが、礼節、礼儀とかいうものもいっしょに捨てたのだろう。漢字は中国の発明で今は簡体字というよくわからない字であるが恥という字は廃止したのではないだろうか。(ガメツイ中国人のことだ。そのうち漢字は中国が発明したとして特許をとり、日本で使用するなら特許料を払えと言ってくるのではないだろうか。) 政府はやたら「文明」「文明」という用語を使用している。 10mぐらいの幅の歩道を歩いていると前方に30mも出た工事フェンスがあり歩行者にはどうしようもない。車道を歩くしかない。工事はあちこちで頻繁に行なわれている。 たとえば歩道を歩いていると突然、工事中の柵で歩道がなくなる。しかし道幅が数十mもあるので反対側の歩道にはおいそれと渡れない、だからみんな柵の横を車から何の防護もないまま危険にさらされ歩くはめになる。しかしそのかたわらには「文明施工」という看板があり、えらそうなお題目が記述されている。なにが文明施工だ。 歩行者などの安全はまったく無視ではないか。もちろん誘導員などいない。さらに
こういう横断幕がバス停などにいっぱいある。2008年に行なわれた「オリンピック精神を継承して、文明北京を建設しよう」ということだろう。しかしバス停ではボランティアだかの指導員が列の割り込み違反の監視をしないとでたらめとなる。 交通は右側通行であるが右折車は前の信号が赤でも右折できるようで、または慣行になっているようで横断歩道が青になって渡っていても左側道路の自転車や自動車が右折のため、ぶつかってくる。また横断歩道を渡り終わるころには対抗方向から来る右折車が歩道に突っ込んでくる。これらの場合歩行者がいても強引にはいってきて歩行者優先とはなっていない。一方歩行者は広い道路で交差点でないところでも渡るが、携帯電話を見ながら自動車がくる状態も見ずに渡る人がおり、命がおしくないのかと思う。もっとも危険なものがロータリー(ランナバウト)で信号機がない、自動車は自分の向かう方向の道路でロータリーが外側車線に移動しつつ脱出しようとする。一方流入したばかりの自動車は内側車線に移動して先にある道路に向かう、それだけでも交差点内は衝突の危険があるので歩行者はまったく危険で横断できない。交差点を外れたあたりの道に移動して横断するしかない。 交差点での交通指導員、たぶんボランティア さらにふるっているのが空港での国際線ロビーで出国する中国人に対する文明行為の指南、心得リストが架けてある。 女性優先とか食事のときは静かに食べるようにとか、時間を守れ、規定を守れ、賭博や色事は拒絶せよ、などが並べられ最後の方では文明出行すれば一路平安であると書かれている。政府自ら、中国人の礼儀しらずを正させて外国で中国、中国人の評判を落とさせないようにとの配慮である。中国公民と書かれているが中国漢民族蛮民の間違いではないのか。 中学生のころ読んだ本で書名や著者(魯迅だったかもしれない)は忘れたが「およそ文明国ではドラを打ち鳴らしたり、爆竹を鳴らして喜ぶことはない。」と自分の国、中国をなげく文章があったことを記憶しているが、本年2009年2月に爆竹で中国中央電視台の新築高層ビルを燃やしてしまうなどはバカにしかできない所業である。中国中央電視台の職員なら、いわばエリートのはずだが、その程度だ。しかし次ページテレビの項でも述べるがコマーシャルをどんどんいれて放送しているので、さらに火災損害分のコマーシャルを上乗せすればすぐに建設費は捻出できるだろう。 だいたい中華人民共和国という名称がおかしい。中華などという世界の中心という思想は地球が丸いということもわからなかった古代の発想で、昔は日本も遣隋使や遣唐使を派遣したが1100年前にやめてしまった。そのころには学ぶべきことはほとんどなかったからだ。中国はユーラシア大陸の東の端にあるアジアの中共 (中国共産党のことであるが中国自身や党自体も中共という略称を使用しているのでそのまま略称を使用する。)による独裁の国だ。ぼくが名づけるとしたら東亜独裁半蛮民国とするだろう。 治安・警備 公安や「武警防暴」と書かれたパトカーを見たが写真にとると、まずいと思い撮っていない。「武警防暴」とは武装警察防衛暴力の略であろうか。自動小銃を持っていた。10月1日が建国60周年なので警備がきびしい。 「首都治安志願者」「治安順還志願者」「治安志願者」といったシャツや腕章をつけた市民がやたら多い。これらは戦中の日本における隣組のようにお互いを監視させたり、牽制させる効果もあるだろう。参加する市民のみかけの年齢をみると文化大革命で紅衛兵をして、人を引きずりまわしたり、三角帽をかぶせてさらし者にしたり、なぶり殺しにしたり、さらし者にして自殺させたり、発狂させたやからの年代だ。元紅衛兵つまり現代でいうテロ犯罪者もかなりいるのではないだろうか。 なお紅衛兵はテロリストなのにほとんど処罰されていない。中国には御都合主義の単語があり、「造反有理」「愛国無罪」「革命無罪」などと言って都合のいいときには免罪されるからだ。2005年4月の上海日本総領事館への石投げ襲撃でも警官は笑って見ているだけで暴徒は「愛国無罪」だ。 拡大→
建国60周年で警備がきびしいとは思っていたが天安門広場が出口の地下鉄出入口のすべて、地下道からの出入口、横断歩道の広場側のすべてで金属探知機ゲートによる警戒が行なわれていた。また地下鉄は天安門広場にかぎらず、すべての駅で荷物検査が行なわれていた。これは建国60周年でか、北京オリンピックからずっーとなのかは不明、1年半前では行なわれていなかった。 天安門広場周辺ではヘリコプターによる警戒が行なわれ執拗厳重な警備状況であった。
天安門上空を旋回飛行するヘリ。 故宮博物院上空を飛行するヘリ また通告書なるA0サイズの張り紙が民家に突然、次々と張り出される。内容は9月15日から10月8日まで模型の飛行機や凧などあらゆる飛行体を含むものを飛ばしてはならないというものや家屋に関する違法行為の取り締まり警告のようなものである。
北京で宿泊したホテルと同じフートンにある警察の交道口派出所では人員が何人いるかは不明だが、車庫に2台のパトカー、それに入りきらないので日本では無余地駐車違反になる路上に2台のパトカーと1台のトラック型パトカーが駐車してある。総じてパトカーの多さには驚いた。外資系ホテルの前には4台のパトカー。日本では考えられないことだが歩道にパトカーの駐車が数台連なっている。西安でも城壁に囲まれた旧市内といえるエリアの東西を貫く大通りの南側半分の部分の主要道路だけでも何十台ものパトカーが止まっている。しかし警官は乗っていない。どこに行っているのか。外資系ホテルの近くということから日本の江戸時代の岡っ引きのようなことをしているのだろうか。 公安とかいてあるのがパトカー。歩道に駐車してある 西安で西安市人民代表大会常務委員会という看板の真新しい高層ビルの前を通り、撮影しようとしたら、直立不動の警官がいきなり怒りくるってきたので中止した。常務委員会のビルとはいっても中共 (中国共産党のことであるが中国自身や党自体も中共という略称を使用しているのでそのまま略称を使用する。)が入居しているのはまちがいない。 撮影できた西安市の雁塔区人民政府と中共が同じ敷地に入っていることをしめす看板。だいたいどこでも赤字が共産党の機関の名称 日本は明治維新後、じきに中国進出を考えていたのではないか、1871年の日清修好条約や天津条約、1894年の日清戦争、その後の義和団事件での連合軍としての侵略、そして張作霖曝殺、盧溝橋事件で第2次世界大戦。日本人として日本が2度とこういうことをしてはならないとは思う。だから自分はノイローゼになって首相職を放り投げるほど弱いくせに核武装だ、南京虐殺はなかったなどという危険人物を容認はしないし、同調もしない。ぼくは平和に関係することもしている。 一方、中国は「日本軍国主義」と「日本人民」は区別するとかつて述べた。ところが現在は反日教育を推進している。区別するとしながら感情論にならざるを得ないことをし、さらに公安当局が2005年の反日デモを組織し、上海総領事館や日本大使館襲撃を警官が笑って見ていたのはウィーン条約違反だ。 軍事大国にはならないと言いながら射程1万kmを超えるMIRV化ICBMミサイルがなぜ必要なのか。MIRV化されたICBMは米ロではモスクワ条約で廃棄し配備していない。配備しているのは中国だけだ。ポルポト支配打破のためカンボジアに侵攻したベトナムに対して第3者の中国が「懲罰」と称してベトナムに武力を使用する権限がどこにある。(ベトナムのカンボジア侵攻はおかしいが中国も安保理で論議すべきだ。ポルポトは毛沢東思想の信奉者で中共の康生が支援したことは公然の事実だ。) 過去の過ちは謝罪している。それが不十分だと考えるなら、どうすればいいと中共 (中国共産党のことであるが中国自身や党自体も中共という略称を使用しているのでそのまま略称を使用する。)は考えているのか。賠償は自ら放棄している。両国間の諸問題は長期に話し合いでいくしかないし、解決しないこともある。 ぼくは中共独裁下の漢民族とはいかなる意味でも友好を持つ気はまったくない。
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