スリランカ
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  スリランカ日記  

              1988. 9.29-11.10

88.9.28水

 海外出張が決まっていよいよスリランカにむけての第一歩の日となった。

成田ビューホテルにとまった。

88.9.29木

 12:45成田発コロンボ行きのエアランカ航空にのった。ピーコックのデザインのスリランカスタイルの制服をきたスチュワーデスがサービスしてくれた。女性でもかなり腕が毛深い人もいる。スチュワードも半数ぐらいいる。飛行機がおっこちなければいいがとおもった。スリランカ時間で17:45コロンボについた。生まれてはじめての外国である。ターミナルビルの横にバスが着いた。日本人が多く、ビルの裏口からビルにはいっていく。少しおかしいなとは思いつつもビルにもはいらず入国できるわけはないのでついていった。仮設なんだろう、だいたいぼくがきたのも空港ビルの仕事だからこの階段をのぼるのが正解だろうと考えた。2階にいくとカウンターがあり、全員並んでいるのでならんだがUL101MALEとかいてあるのでこれはモルジブゆきののりかえだとわかって別の方向にむかった。係員がなにかたずねたが理解できなかった。なんとじゃべったか記憶にないが入国はビルの外だいうことがわかった。そういえばビルの入り口にTRANSFERと書いてあった。入国係官がなんと言っているのか、まったくわからなかったがとおしてくれた。ベルトコンベアのところにいくと仕事先のKさんがいた。まちがえてのりかえの方にいってしまいました。と言ったら「そうじゃないかとおもった。」と言う。それならむかえにくればいいのにと思ったが言わなかった。「英語はしゃべれるんでしょうね。」といわれ「全然」といったら、こまるなあなどといわれ、まずいことになってきたと思ったがどうしようもないことだ。荷物をだし車につんだ。400mぐらいはなれた現場事務所にはいった。うちのエンジニアですといわれて、ふたりの人と握手したがあいさつのことばはHow do you doだったかHow are youだったかはっきりせず、話せなかった。ホテルにおくってもらって「じぁ、明日むかえにきますので、よろしく」と言われわかれた。「どうも、ありがとうございました。」と力なく言った。これからどうやって、晩ご飯を食べようかという問題が頭にうかんだからだ。へやで会話辞典をひいてせりふを覚えておいた。セットディナーをたのんでなんとか夕食はたべれた。このホテル、エアポートガーデンホテルは1泊30ドル、成田ビューホテルよりはるかに広くて値段は4分の1。テレビをつけた。2チャンネルでカラー放送だ。ガイドブックによるとITNというほうはコロンボ周辺だけらしい。冷蔵庫はない。テレビのプラグがさしてあるコンセントがビリビリと音がするのでぬいてみた。接触不良はないみたい。プラグをまたさそうとしたらささらない。どういうコンセントだ。電話でルームサービスになんとか意味をつたえたらボーイがきてアース端子にドライバーをさしてからプラグをさしこんだ。ふざけたプラグだ。ねると天井で緑色の光が3秒間隔でフリッカーする。スリランカの蛍かと思いライトをつけると煙感知器のLEDだった。かわった煙感知器だ。

88.9.30金

 時差の関係で3時半におきてしまった。窓から外をみるとラグーンにあかりが点々とみえる。あとでわかったことだが、かに漁のボートのあかりだ。

 朝食は前日オーダーカードでたのんだスリランカ食のストリングホッパーとカレーだ。カレーは異常にからく、たくさんは食べれない。パイナップルジュースは1人なのにストローが2本ついている。

 現場にいって朝礼にでた。まったくおどろいたのは作業員がノーヘルメット、安全帯なしそのうえサンダルばき、なかにははだしというかっこうであることだ。日本人スタッフも野球帽だけだ。わざわざ紹介されたのでシンハリ語で「おはようございます。」と言い、あとは英語であいさつした。仕事先にはHさんという人もいてKさんと3人で現場をまわった。みんながぼくの顔をみる。あまりに人が大勢なので言ったら、日本人の3分の1しか働かないからこれでちょうどいいんだといわれた。きょうは自動関係はできないからヨークチラーのインターロックの結線指示を手伝ってくれといわれ、ワーカーに説明しながらつないでもらった。1か所に2人ふたつのチラーにつないだが圧着ペンチがひとつしかなく交互に使う、となりではひとりみている。たしかに効率は悪い。道具がないからしかたがない面もある。道具の値段の方がワーカーの労賃よりはるかに高いからだ。日本とは逆だ。

 昼食はホテルにもどって食べた。毎日これではめんどうだ。ヨークチラーのエンジニアとしてシンガポーリアンのMr.Tongといっしょに食べた。彼はたぶん華僑だろうが英語はすごくうまく早口なのでほとんどわからない。1時すぎにむかえがきたのでもどった。彼はもう1か月以上いてチラーのオーバーホールをしているという。

 夕方、ホテルに帰ってからどうしようかかんがえた。いけるときにあちこち行かなければチャンスもなくなってしまう。しかし英語力にはまだかなり不安があるし、スリランカの様子もわからないのできょうはホテルにいようか、まよったがやはりちょっと近くの町をみてみることにした。フロントでツァーデスクを教えてもらいニゴンボ(ホテルに近い町)を一周するためタクシーにのった。タクシーといってもランサーのかなり古いやつでもちろんメーターなんかない。なによりこわいのはシートベルトのないことだ。きょうでまだ2日目だがこの国の車の運転のあらっぽいことは十分わかったので事故にあわないようにしなければならない。ドライバーにセイフティドライブをたのんだ。彼はフィッシャーマンで朝は漁をして日中ここでタクシードライバーをしているという。年はぼくと同じでクリスチャン、結婚はしている。家はニゴンボにある。この国では仏教徒は漁をしないらしい。町はどうしてこんなに人がいるのかと思うほど人でごったがえしている。タクシーはクラクションをならし人をけちらしていく。道はせまく側溝はごみでめちゃくちゃ。ココナッツを売っている人がいたので車をとめて買って飲んだ。Hさんがココナッツはポカリスエットの味がするよといっていたがたしかにほとんど同じ味がする。いろいろな仏教寺院をみたが日本の寺のイメージとはまったく違う。シャカの一生が建物内に絵や像で物語ってある。最後に坊主がここに名前をかけというのでかいたら、最後のところに寄付金をかく欄がありヨーロッパ人たちは100Rs、200Rs寄付している。ぼくはものごころついてから神社、仏閣には1円たりとも賽銭をだしたことがない。宗教は2000年以上かかっても世界を平和にできなかったからだ。ここで寄付をするのはおもしろくない。ドライバーが10Rsでいいというのでしぶしぶだした。後で彼にあの寺の名前を聞いたら、自分はクリスチャンだから知らない。スペシャルテンプルだと言った。ホテルにかえり料金を聞いたら350Rsだというので10Rsチップをたしてだしたがあまりよろこばなかった。チップが10%なかったからだろうか。

 サイトシーイング程度ならまったく問題なく英語がはなせたし、現場でワーカーに英語で指示もできたので言葉の問題は初日ほど不安ではなくなった。

88.10.1土

 AHU−19,20を調整した。ほんとうはきょうヨークチラーがまわるはずだがミスタートンに聞くと月曜だという。Whyというとチラーのコントロールパネルをみせてくれた。

配線がずたずたに切れている。だれかがリレーやタイマーをぬすんで配線をきったのだという。このチラーは数か月前はちゃんと動いていた。オーバーホール前にとめたわずかの時間に盗まれたらしい。スリランカで盗まれることをアリババという。アリババと40人の盗賊の話からきている。また物がこわれて使いものにならなくなることをサンタマリアという。

 午後から冷却塔とポンプの試運転に立ち会った。冷却塔はスターでまわるがデルタにするととまってしまう。つなぎを調べて1相ずらしてOKになった。こういうことが電気担当のスーパーバイザーをふくめてだれもわからないのだから、すばらしい。コンデンサーポンプはまわすとフランジから水もれフランジがしめてない。サーキュレーションポンプはインペラーが内部ですっている音がする。冷却塔は台湾製、ポンプは日本、チラーの電動機盤はアメリカのウエスチングハウス、動力盤はシンガポールと国際的だ。

 Hさんにきのうの夜のことをはなすとドライバーがそういう顔をしたのは言い値があっけなくとおったのでもっとぼればよかったという後悔の顔だろうという。

 土曜日は5時が終了でオーバータイムはないそうだ。月曜にAAS(AIRPORT & AVIATION SERVICES)と台数制御器についてミーティングがあるので少し打ち合わせをしてかえった。

 今晩はニゴンボでロブスターを食べることにしてタクシーにのった。きのうの人とは別人だ。彼はブッディストだ。あっちだこっちだと気に入ったレストランをさがしまわって、そのものずばりシーフーズレストランという店で食べた。でっかいロブスターが2匹でてきた。値段は350Rsで日本では考えられない安さだ。腹いっぱいになってホテルにもどってタクシー料金をきくと250Rsだという。1時間半以上タクシーをまたせてきのうより100Rs安いやはりHさんの言うとおりだ。ぼくはやはりカモにされたのだ。

 テレビをみるとこの国ではプラスチック製品が高級品で近代的であると考えられている。日本では逆に天然素材のものが再評価を受けている。

88.10.2日

 Hさんがコロンボを案内してくれるというのでコロンボにいった。おどろくことに仕事先の社用車に社員のドライバーでいくという。これはこの国の日本人では当たり前のことだよといわれた。彼らもオーバータイムがかせげるからいいんだとのこと。Kさんはしょっちゅうこの車でゴルフにいっているとも言った。仕事先の宿舎というのは医者の家のはなれでそれでも50坪ぐらいの家だ。本宅は200坪ぐらい。庭は500坪。スリランカは金持ちと貧乏人しかいない。中産階級はいてもほんの少しだと教えてくれた。宿舎にはコックがいて食事をだしてくれる。想像とはかなりちがった。

 彼はコロンボをみて首都(ほんとうはスリジャヤワルダナプラコッテが首都)でさえこの程度だからあとの都市はみる必要がないという考えらしい。たしかにスリランカ第一の都市としても10階建て以上のビルは6〜7本だからすくないし、それ以外の地区はかなりみすぼらしい。名前がメインストリートという通りでさえ簡易舗装でごみごみしている。だがおもしろいではないか。一旦停止などということばは辞書にはないとばかり走る車、そういう車の間を平気で歩くものすごく大勢の人々、屋台みたいな店でバナナやココナッツなどのくだものを売る人、ぼくには興味しんしんである。昼は「博多」という日本食レストランで食べた。わざわざスリランカで日本食を食べるとはどういう心境なんだろう。たしかにぼくより2か月長くいるがぼくが彼の立場でもわざわざ日本食は食べないだろうと思う。彼はあきたのかリバティプラザという所で買い物をするという。日本食を売っている店があるからだという。そのあと別の店で酒類をかった。そして帰ろうという。

 仕事先宿舎でビールを飲んで彼のグチを聞いて、Kさんともスリランカのことをはなしわかれた。

88.10.3月

 AASとのミーティングがあるので台数制御器のパラメーターを調べる許可をAASからもらい、はじめて台数制御器にさわった。ひどい設定がしてある。前回の調整はシンガポールから来たサービスマンがしていった。

 3時にAASとミーティングをした。ミーティングというより勉強会である。ねほりはほり聞いてくる。後で仕事先に聞いたら彼らはわからないから聞きたいのだ、まったく経験がないから聞くのだという説明をしてくれた。

 残業でコントローラーと弁のチェックをした。

88.10.4火

 台数制御器のパラメーターを変更した。2時間ごとにデータをとった。AHU4セット、FCU3セット完了した。コントローラーが1台こわれている。

 コロンボの向こうにあるケラニヤにいった。ここにはラジャ・マハ・ヴィハールという寺院がある。ここのパゴダは紀元前3世紀に立てられたという話だ。入り口でサンダルをぬぎはだしになりぐるぐるまわった。非常に大勢の人々がはなやはなでつくったかざりものをシャカの像の前や菩提樹のまわりにそなえている。この国はろうそくではなく油をさらにいれ火をともす。その火が無数にあり、地面まであつい。はだしだからそれがよくわかる。写真はとってもいいといわれたがちょっと許される雰囲気ではなさそうなのでやめた。

 帰りにドライバーがJA−ERAでチャイニーズレストランを紹介してくれて夕食をたべたがビールは冷えてない、クラブはむちゃからい、たのみもしないスプリングロールがでてくるといったところだ。ただスープヌードルはうまかった。チェックには注文しなかった料理や飲んでもいないビールの本数がかいてあるのでけんかになった。約100Rsつりあげてあったので訂正させた。ポリスにつきだしてやろうかと思ったがこじれそうなのでやめた。ドライバーにもし今度あんな店につれていったら2度と乗らない。といってやった。なにしろぼくはドライバーの 晩飯までだしたのに冷えてもいないビールをのみ、だまされそうになったのだから完全に頭にきた。ああいう寺院でいのっている人と彼らは同じスリランカ人なのだろうか。

88.10.5水

 ミスタートンがきょう初めてチラーをまわした。ところが能力がでない。ヒートエクスチェンジャーのチューブがよごれているという。ぼくは1か月もオーバーホールしていて肝心の熱交換器をクリーニングしていない冷凍機サービスマンがこの世にいるのかとあきれてしまった。

 きょうも台数制御器からの発停はムリだ。Kさんにチラーエンジニアがオーバーホールで最も肝心なクリーニングをしてないとはどういうことでしょうねと話すと「なんていったって日本人が一番優秀ですよ」といっていた。

 きのうの食べれないほどからいクラブの口なおしにホテルでシンハリスタイルのクラブをたのんだ。たのんでからシンハリスタイルならまたからいだろうとおもい失敗した気持ちでいた。50分して料理ができてきたがからくはなく、たいへんおいしい味だった。しかしクラブ料理にフライドライスがついていて、そうとは知らずたのんだフライドライスと全く同じになってしまった。ウェイターのキャプテンとマネージャーに「ぼくは外国人だ。こういうライスがつくならちゃんと注意しろ。また待ち時間が長すぎる。」と抗議したがごもっともですというようなニュアンスのことはいうが謝罪はしない。

88.10.6木

 グランドフロアーのAHUをチェックした。コントローラーがこわれている。なぜこうもコントローラーがこわれているのだろう。

 チラーはチューブのクリーニングをしている。チューブ洗浄専用の薬液がスリランカにはなく。家庭用の洗剤を買ってきて使用している。日本では当たり前で手にはいるものがスリランカでは手にはいらない。そういうことばかりで日程はどんどん遅れていく。しかも経験者がいなくミスタートンが説明しながらスリランカ人に教えて作業するのではなはだ遅い。

88.10.8土

 ためしにホテルのロブスターを食べてみることにした。500Rsだ。これだけは他の料理とはケタちがいに高い。ウェイターが再度500Rsですがいいてすねと確認しにきた。500Rsはスリランカ人の1週間分のサラリーだ。それをぼくはたった1食で使ってしまう。そのうしろめたさは感じたが日本ではバカ高い(スリランカでもバカ高いわけだが)ので物価の安い国で食べることにした。(ホテルでの食費は仕事先が支払う契約)

以上途中ですが終わりです。

 

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