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| カンボジア 1 最後の3日間はタイのバンコク観光 概要 2009年3月9日〜3月24日 16日間 日程 セントレアからだとタイのバンコク経由になる。バンコクからアンコール・ワットの最寄町シェムリアップまでとプノンペンまでではプノンペンの方が遠いにもかかわらず1万円ほど安いのでプノンペンへも、どのみちいくつもりであったからプノンペン往復にした。行く前の予定ではまずプノンペン3日間、最後にまたプノンペン2日間でその間はシェムリアップに滞在してアンコール遺跡群をみるものであったがプノンペンは見るところがあまりなく、ワット・プノン、国立博物館、王宮、シルバーパゴダ、セントラル・マーケット、チェンエク村のキリング・フィールド、トゥール・スレン博物館、ぐらいなので最初の3日間の滞在で終わってしまった。その後、トンレサップ川を上り、トンレサップ湖を縦断するスピードボート(35ドル)でシェムリアップまで行った。シェムリアップで8日間居て、だいたい見てしまい、どうしようか考えた。飛行機(90ドル)かバス(10ドル)でプノンペンにもどるか、別のところに行くか。結局飛行機(150ドル)かバス(10ドル)でバンコクまで行き、バンコク市内を3日間見ることにした。 結局、帰国してみればプノンペン3日間、シェムリアップ8日間、バンコク3日間、機中1泊の滞在という、ころころと日程変更した旅行であった。 ぼくは年間50日以内をアルコール飲酒日数にしているので行く前日まではずーっと飲まずにがまんした。したがって出発日の朝、セントレアに行く前にビールを1本のみ、バスで飲み、空港でレストランをさがしたが朝なのでまだ準備中で開いていない。開いている所もアルコールは11時からと言われた。ぼくはゴールドカードを持っているのでセントレアでも無料のクレジットカード屋のラウンジがあるはずだ。2階にあったので、はいった。関空ではソフトドリンクは無料でもビールなどは有料だった。しかしここはビールも無料。もっとはやく気がつけばよかった。飛行機に乗ったらしばらくして飲み物サービスがあったのでビールを飲んだ。食事とその後にはディジェスティフ(どこのコニャックかは忘れた。)も出た。しかし重要なことは飛行機は空飛ぶ居酒屋ではないということだ。好きなようには飲めないし、つまみもない。16日間のうち7日間は飲んだ。旅行にしてはそうとうにがまんできた。 通貨 カンボジアの通貨はリエルであるが観光はほとんどすべてUSドルであるということ。10ドル札ではおつりがないといわれそうなので1ドル札を中心に5ドル10ドル札を多く持っていった。7年前に両替した20ドルや50ドル札も持っていったが、この間に1ドル札以外は偽札対策ですべて新タイプになっているので、7年前の古いタイプが通用するのか心配した。しかし古い札も流通していたし誰もなにも気にしていなかったので安心した。 1ドル98円ぐらいが旅行時の為替レート。1ドルは約4100リエルだが現地では4000リエルでみんな計算していた。つまり1リエルはだいたい0.023円から0.025円ということである。ただカンボジア人も最低100リエル単位でしか売買していない。普通は1000リエル単位だ。すべて紙幣でコインはない。コインのないのは隣国ベトナムといっしょ。なおベトナムについてカンボジア人は非常に嫌っている。 またタイの1バーツは100リエルで両替できる。すると1ドル4000リエルなら1ドル40バーツで両替できそうなものだが、タイでは1ドル35バーツ程度しかならない。これが為替レートの不思議なところだ。 今回の主目的はアンコール・ワット見学である。その他にプール付きのホテルが安いところでは25ドルぐらいなので2、3日間寝そべっていようという気持ちであった。ただしガイドブック発行が4年ほど前なので料金は上がっているだろうとは思った。その上、昨年の石油高騰と秋からの世界不況である。そうとう各種金額は値上がっていると覚悟していた。しかし以前のベトナムでは4万円程度だったので700ドルもっていけば足りるのではないかという気もした。しかし実際はシェムリアップまでのスピードボートはガイドブック記述の最低22ドルから35ドル、プール付きホテルは最低29ドルが47ドルという具合で値上がっていた。USドルも足りなくなり500ドル追加して両替した。 治安と安全 プノンペン到着が20時10分、それから入国手続きや中心部までの交通、その待ち合わせですぐに1時間半や2時間ぐらいかかるだろうと思っていた。するとホテル (予約はしていない) 到着は22時ごろ、夜間は非常に危険とガイドブックに書いてあるので大丈夫だろうか、心配したが予定したホテルに着いて聞くと部屋は空いていたので泊まれた。まあ安心した。 ガイドブックではトンレサップ川を上り、トンレサップ湖を縦断するスピードボートは沈没し韓国人が1名死亡したことがあると記述されている。ぼくはボートには最初に乗りライフジャケットを確保した。ライフジャケットはとても全員分はない。甲板に出るときは必ずライフジャケットを着て出た
プノンペンで滞在したアジアホテル、1泊25ドルこの旅行中唯一バスタブのあったホテル、6階建てだがエレベーターがあやしいので2階の部屋に替えてもらい階段で出入りした。翌日近くのゲストハウスに料金と部屋をみせてもらったが2ドル安いだけでバスタブなしのホットシャワー、部屋も狭いので止めた。 トンレサップ湖に行くスピードボート シェムリアップからバンコクまでのバスも12時間かかるが強盗がでるときがある。トゥクトゥクの運転手やトラベルエージェントに安全かと聞いてもだれも安全だとは断言しない。しかしバンコクからシェムリアップに来るならカンボジア領内は午後から夜になるがぼくが使うのは逆コースでカンボジア領内は午前中、日中であるからまあいいのではないか、またそんなに強盗が出るならバスは毎日、複数の会社で運行していないだろうし、バンコクまで500kmもあるのにたったの10ドルという危険手当もないような運賃で、運行するはずがないと思いバスにした。いざバスに乗ると乗客も29人、乗員4人と満員状態だった。乗員4人というのが少し気になった。もしもの事を考えての用心棒か、道路が異常に悪いのか、しかし総勢33人いれば、強盗が出てもなんとかなるんじゃないかとも思えた。だれかが犠牲になっても、ぼくがなる確率は下がるだろう。
バンコク行きバス。乗客のバックパック荷物でいっぱいなので全員で33人というのは非常に狭い。 地雷 治安以上に心配だったのが地雷だ。観光地では撤去完了しているとのことだが、万が一、億が一ということもある。もし踏めば吹っ飛ぶのは自分の足か命である。実際、両足膝から下が義足とか、片足がない人、手首から先がない人、指がほとんどない人たちをほんとうに大勢見かけた。また子どもでも同様の被害を受けている子が非常に大勢いた。ほんとうにかわいそうだ。普通には働けないので観光地でDVDを売ったり、物乞いをしたり、地雷被害者の演奏として遺跡で合奏をし寄付を受けていた。 ベンメリアというアンコール・ワットから80キロぐらい離れた遺跡に行ったとき、警備の警官に聞くと遺跡内は撤去されているが外はあぶない保障しないという。遺跡の裏手に地雷原の撤去が完了したエリアが示してある青い看板(上の写真)があったが、2007/7/18から2008/1/15にドイツにより実施完了と書いてある。わずか1年ちょっと前だ。おそろしや、おそろしや ぼくはたとえ毎年何十万人も来るアンコール・ワットでさえ人の踏み跡のあるところしか歩かなかった。万が一、億が一という可能性がある。 プノン・クーレンとクバール・スピアンはともに地雷撤去未完了で山の中にあるので行くのはやめた。地雷は雨季に土砂くずれで土といっしょに撤去エリアにも流れてくる可能性があるからだ。 アンコール・ワットなどの遺跡 これが主目的である。このエリアには数十の遺跡があるらしいのでなるべくゆっくり、そしてたくさん見ることにした。 訪問した遺跡
詳細についてはさまざまな旅行者がWebで紹介しているが下記が気に入ったので参照してほしい。 http://www.angkor-ruins.com/ この人の本、「キリング・フィールドへの旅」と「アンコール文明への旅」はよかった。 http://www.abaxjp.com/angkor-top1.html なかなか、くわしくておもしろい どの遺跡寺院も個性的で感動する。やはり最大規模はアンコール・ワット。ここでは第1回廊壁面にラーマーヤナなどの浮き彫り彫刻がある。東面に乳海攪拌という伝説のレリーフがある。ナーガという5つとか7つとか9つの頭を持つ巨大ヘビでその胴体の頭側半分を多数のアシュラが引き、しっぽ側半分を多数の神が引き、綱引きのような図だがそれで攪拌するというのだから交互に引き合ったのか。話がでかくて1000年間引き比べをしていたとのことだ。そうしたらアプサラとかラクシュミーが産まれたらしい。アシュラが引いている方の頭方向先端は現在修復中で見学できなかった。1000年も綱引きしていたらヘビの胴体がまっぷたつにならないのかななどと考えた。 修復中の第1回廊東面
アシュラ側 神側
アンコール・トム入り口の南大門の手前の環濠にかかる橋の欄干には左側にアシュラ、右側に神がナーガを引っ張る石造がある。 遺跡の階段 どの遺跡も石段が多いのだが、それが急傾斜で危険。アンコール・ワットやバイヨンなど有名なところには木製などの補助階段や手すりがあるが、その他の遺跡には何も無く、特にピラミッド型遺跡は危険。地上に「危険、登るリスクは自己責任」と書かれている。しかし今後、なんらかの整備をしていかなければいけないと思う。アンコール・ワットでさえ第3回廊は立ち入り禁止、昔、韓国人のガイドが石段を踏み外して落ちて死亡してからそうなったという。観光地というのは世界中ほとんどバリアフリーではないので年取ったら観光できない。 遺跡の修復は国際協力で各国がしている。それに対してアンコールエリアの入場料はカンボジア国民はただ、外国人は1日券20ドル、3日券40ドル、7日券60ドルと結構取っているんだから補助階段の費用がだせないということはないだろう。そのうち日本人のパッケージツアーで先頭の人が落っこちて後続の人も巻き込まれて数人が転がり落ちて死んだと言って議論になるだろう。ただアンコール・ワット、バイヨン、バンテアイ・スレイ、ベンメリア以外で日本人に出会ったことはなかったので確率は低い。 ピミアナカスの急階段。木製の手すりつき階段があるだけ、まし タ・ケウの石段。若者でも伝い歩き。かといって登らなければ意味がない。落ちたら石ばかりなので被害は重症になるだろう。 これもタ・ケウ。身延山の石段もこれには脱帽だ。ステップ幅が狭く、ステップ間隔が高い。 大勢が夕日を見るため大挙して登ってくるプノン・バケンも同様
つつぎは順次、執筆します。
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