エジプト
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  エジプト旅行  

                   1993.5.1--5.8

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93.5.1土         くもり

 いつもことながらチェックインが出発2時間前というのがもったいなあと思いつつ家を出る。しかし電車にのると、もしここでふみきり事故でもあれば間にあわない、大丈夫かなと不安になる。

 一応成田に着くととりあえずほっとする。去年の秋にできた第2ターミナルも知ることができてよかった。飛行機にのると今度はほんとうに着けるか心配になる。

 20分おくれでエジプト航空MS−865で出発20時30分(現地19時30分)にマニラに着く、ほんとうにマニラにとまったので、この後やはりバンコクにも止まるのだろう。

93.5.2日         はれ

 1時15分(現地11時15分)にバンコクに着く、むし暑い。給油のためもあるがふだんは東京からは客が満員にならないのだろう。それで2回(マニラ、バンコク)もたちよって客集めをするのだと思う。

 普通は飛行機にのるとすぐ相手国の現地時間にあわせるのだが、今回は時差がわからない。「地球の歩き方」にものっていない。通貨の換算レートとか時差はまとめてのせてなければいけない。どうなっているのだ。後ろのページを何回めくっても時差がでてこないのだ。たぶん5時間か6時間だろうとは思うが、

 カイロについた。18時間かかった。機内食は4回でた。時差ぼけはない。ほとんどねむり続けたからだろう。空港の時計をみて時差6時間とわかった。すぐに銀行で60ドルを199エジプト・ポンドに換金した。

 便所に行くとガイドブックにのっているように便所の番人がいる。「どうぞどうぞ」と来客をむかえるように手で招いてくれる。そしてでるときにチップを要求する。50ピアストルわたす。1日にどう少なくみつもっても50人の利用者はあるだろう。15から25ポンドの収入にはなるだろう。まともに働くより、よほど率がいいにちがいない。

 バスにのり運転手のザキさん、ガイドのメッドハッドさん、そしてエジプトに住んで9年の佐藤さんと紹介してもらった。エジプトではエジプト国籍者しかガイドになれないので佐藤さんはガイドができるのにメッドハッドさんの通訳ということでずーっと案内することになるそうだ。佐藤さんは1日飲み物だけなら10ポンドもあれば十分ですという。少し両替しすぎただろうか。

 午前はエジプト考古学博物館に行った。ツタンカーメンの黄金のマスクをはじめ有名なものをみた。佐藤さんが丁寧に説明してくれるのでたいへんよくわかる。黄金のマスクはあまりに前宣伝がおおいのでみたとき感動しなかった。しかしハワード・カーターがみたときは卒倒せんばかりだったろう。無事だった墓はツタンカーメンだけだったのだから。

 ギザのピラミッドに行った。さすがにでかい。第一ピラミッドは非常に混んでいてたいへんなのでピラミッド内部見物はわれわれのコースには含まれていない。第二ピラミッドの内部を見学した。ここに最初にはいったイタリア人ベルツォーニの落書きがあった。ピラミッドにのぼろうとすると監視人に制止された。4,5段ぐらい登らせてくれてもいいだろうにと思う。

93.5.3月         はれ

 朝4時36分に起きた。45分にモーニングコールが鳴ったがもう準備は始めている。5時50分ホテル出発、7時に飛行機はアスワンに向け離陸した。このために買ってきたコンパス付き温度計を首にかけた。きょうはアスワン経由でアブシンベル神殿に行く。気温は40度以上のはずだからどういうことになるか楽しみだ。しかし9時20分に着いたときは30度だったので残念であった。wpe2.jpg (15816 バイト)

 ついにアブシンベル神殿をこの目でみるときがきた。子どものとき漠然といつかアフリカに行ってみよう、あそこもここもと思っていたことのひとつが実現した。

 歩いていって山をまわっていくとそれは見えた。ラムセス2世というファラオはほんとうに相当、自己顕示欲の強い男だ。よく神殿の入り口に自分の石造を4つも並べてつくるものだ。内部の内殿にアメン・ラーやラー・ハラクティ、プタハーといっしょに自分も神として並べている。

 アスワンにもどり、作りかけのオベリスクを見てその後、ファルーカというエジプトの帆船に乗った。ラテンセールの7mぐらいのヨットだ。荷物の輸送に使っていたが今では観光船になっている。川底が浅いのでセンターボードがついている。ランニングのときはさすがにセンターボードをあげている。ヨットの基本技術はどこでも守るものだなと感心して思った。「ナイルの水を飲んだ者はナイルに帰る」いう言い伝えにしたがい4,5杯すくいあげて飲んだ。冷たくておいしい。これぐらい上流なら水もきれいだろう。ところがぼくが飲んだ後で佐藤さんが「ここら辺は吸血住虫がいるので気をつけてください。生水はのまないでください。」などと言う。もっとはやくいってくれ。すでに飲んで吸血住虫が体にはいってしまったかもしれない。

 ホテルにもどった。カタラクトホテルは映画「ナイル殺人事件」のロケに使われた由緒あるホテルだ。となりにニューカタラクトホテルがありプールがある。ぼくらの泊まっているホテル、カラブシャホテルは同じ系列のホテルらしい。

 隣りのニューカタラクトホテルのプールで泳いだ。外国に来たときはどこのホテルでも関係なしに宿泊客のような顔をしてプールでも何でも使うことにしているので平気なもんだ。ホテルの人もなんにも言わない。

 スーク(市場)に行った。いろいろ売っている。パピルスのおみやげ、Tシャツ、スパイス、くだもの、銅製の皿、おぼん。ぼくはヒエログリフの書いてあるTシャツを買った。通常シャツは1、2枚しかもってこず現地のTシャツを買って使うことにしているからだ。ホテルにもどってからそれを着た。

93.5.4火         はれ

 腹がいたくて5時ごろ目がさめた。毛布が腹にかかっていなかったので寝冷えして腹痛になったのかなと思ったがそれにしても、やけにいたい。コレラは予防接種がまだきいているはずなのでかかるはずがない。第一、発病するまで3日かかるのにまだエジプト料理を食べてから1日半しかたっていない。トイレに行ってみたが当然コレラ特有の便ではなかった。しかしトイレの終わった後でもいたい。そのまま寝たが眠れない。きのうファルーカに乗ったときナイルの水を飲んだのがいけなかったのか。思いつくのはそれだけだ。1杯だけにしておけばよかった。よくよく考えればアスワンはエジプトでは上流だが、ナイル川はウガンダ、スーダンとすでに何百キロと流れている。きれいな水だとはいいきれないだろう。7時に起きて、7時半に朝食を食べた。食中毒の治療薬を飲んだ。アスワン空港で9時40分の飛行機にのりルクソールにつく予定だったが飛行機が遅れたため、カルナック神殿の見学は1時からとなってしまった。昼食時も食欲がない。ただ腹はときどきしかいたくならない。食中毒の治療薬を飲んだ。きょうはすでに5回便所に行った。wpe3.jpg (13015 バイト)

 カルナック神殿に来た。世界最大の神殿というイメージがあるので実物を見て少し小さい感じがしたが第1塔門の真下まで来てみあげればやはり大きい巨大だ。この塔門もラムセス2世が作らせたものだ。アブシンベル神殿もこの後行くルクソール神殿の第1塔門もその中の石像も、ピラミッド以外のでかいのはたいてい彼が作らせたものだ。

 列柱室にきた。5m程度の狭い間隔に直径が2m近い柱が134本も並んでいる。いったいどういうすごさだ。各所で佐藤さんの説明を聞いたが朝の腹痛の影響で立っておれない。痛くはないが体力がおちている。説明が始まると腰をおろした。

 有名なハトシェプスト女王とトトメス3世のオベリスクがみえた。ぼくはオベリスクはこんなに太いとは思っていなかった。しかし片方は少し傾いている。将来たおれてしまうのではないか。2時間という駆け足に近い時間で有名なところだけみてまわった。

 ルクソール神殿に移動した。カルナックに比べると小さいがオベリスクもあり石像、壁画は同じように多い。

 ホテルに帰ったがでかける気がしない。6時半に起きるつもりでウェイクアップコールをかけて寝た。ところがホテルの増築工事でハツリ音がときどき強烈な音をだすので寝れない。頭にきてレセプションに電話したらさすがにホテルだ、音が止まった。6時半になってもまだ寝たい気がして、夕食の7時半までまた寝た。これで博物館には行けないことが確定した。

 睡眠と夕食を食べて完全に通常にもどった。8時半さあ、ルクソールの町に行ってみよう。またスークがあったのでみてまわった。本屋があったのでエジプトの地図2枚とルクソールの地図を買った。アスワンよりはるかに商売気のあるみやげもの屋の人がいる。最初にふっかけておいて高いというとじゃあいくらだという。そこでこたえたりしたらこちらは最低価格の線をみずからひいたことになる。もうおもうつぼだ。そしてともだち、ともだちと言ってせまってくる。2時間ぐらい歩いて墓にあったような石像を買おうと決め数件はなした。まだ高いとはおもったがラムセス2世の石像を買った。

 夜の10時半をすぎているのに小さい子供づれの家族が公園の芝生で夕涼みをしている。あっちでもこっちでもだ。日中暑いので夜ゆっくりするのだろうか。

 10時半からこのホテルの船でディスコをやっているはずなので11時20分ごろでかけた。客は2人だけだった。とてもおどる気がしないので立っているとその客も同じおもいでおたがい苦笑してそこをでた。バーやレストランはまだ客がいるのにもう今はディスコの時代ではないのだろうか。へやにもどって地図をみてから寝た。

93.5.5水         はれ

 きょうはルクソールの対岸の王家の谷見学だ。ミスル・トラベルという会社がこちらでの旅行をとりしきっているがこの会社はかなりでかい旅行社だ。どこに行っても冷房完備の新車に近いバスがあり、今ここでのるフェリーにもミスル・トラベルとかいてある。フェリーにのって気づいたが岸からはなれ、ナイル川の真ん中に行くほど風が出てきて強くなる。そして対岸に近づくとまた弱くなる。両岸の地面の温度は川水よりかなり高くなるので川の真ん中では空気が冷やされ下降気流ができるのだろう。それが風となる。だから古代からファルーカが使えるのだ。日中ならいつでも川には風があり、ウインドアビームで上流に行き、下流には川の流れで下ることでどこへでも自由にいける。

 クレオパトラもシーザーと新婚旅行に来たというメムノンの巨像に来た。神殿があったがいまはこの像と至聖所の後だけが残っている。非常に有名なハトシェプスト女王のテラス式葬際殿に来た。彼女はトトメス3世のファラオ継承権をよこどりしてファラオになったので死後トトメス3世に彼女の名前はすべて記録からけされてしまったというがそれがここで実見できた。ハトシェプストの絵,文字はこのテラス神殿からすべて消されていた。ガイドの佐藤さんが説明してくれた。また他のエジプト建築からはきわだって違う3層のテラス構造もプントの国の住居をヒントにしたのではないかということも壁画にかいてあった。壁画は写真でみると2次元のワンパターンのものという印象をもつが実物はきわめて細かい観察にもとづいたリアリスティックなものでわしの羽根の1枚1枚がていねいに描いてある。さかな、かばもそうだ。すばらしい作品だと思う。

wpe5.jpg (18263 バイト) 王家の谷に移動した。まずツタンカーメンの墓にはいった。この墓だけは混んでいてしばらく待った。前室から玄室をみた。これがハワード・カーターたちが10年ちかくかけて発見後整理した墓だ。その後ホレンヘブ(第18王朝)メレンプター(第19王朝)ラムセス9世(第20王朝)と墓をみたがツタンカーメンがいちばん小さい。ほんとうにせめてもう2,3個墓どろぼうにあわない墓があればエジプトの財宝がどれくらいのものかよくわかっただろうに残念だ。しかしよくこのエリアに64もの墓を掘り上げ、財宝をうめたものだ。しかも葬祭殿は別につくったのだから、いったいいくら金があったのだろう。

 ぼくはエジプトに来る前に古代エジプトの本を20冊ぐらい読んできたが日本とはケタ違いに長いここの歴史をしり、日本の古代よりはるか昔にピラミッドやカルナック神殿を作ったエジプトははるかにゆたかな国だったんだという感慨をつよくもつ。

 空港に行き、カイロに向かった。空からの砂漠は起伏の多い大地だ。川の流れたあとがあり、それがワジというものだろうと思った。

 カイロ近郊で開拓地がみえたがはしの方から砂にうもれている。ちょこちょことした開墾ではなくある区域は徹底的に緑化して防砂林をつくらないと無にきしてしまうような気がした。

93.5.6木         はれ

 きょうはメンフィスとサッカラだ。メンフィスは5000年くらい前、最初の首都になった所だ。しかし今はアラバスターのスフィンクスがあるだけだ。

 サッカラは最初のピラミッドがある地だ。ジョセル王の階段式ピラミッドだ。最初のピラミッドでさえ高さ60mある。くずれかけた第5王朝のピラミッドの中を見学した。ピラミッド・テキストがかかれたころのもので内部は壁画とヒエログリフでいっぱいだ。となりにイドゥト王女のマスタバという墓があり、見学した。地上部分は家になっていて、例によって壁画がある。他のものもそうだが非常に精巧な描写だと思う。牛をつかまえる人間の腕の筋肉のはりぐあい、牛の肉付きもよく現れている。

 ガイドの佐藤さんがおこり始めた。イタリア人のグループのガイドが大きな声で長々と説明しているからだ。ガイド仲間のマナーにも反している。おこるのも当然だ。

 ここからギザのピラミッドも反対方向の赤ピラミッド、屈折ピラミッドもみえた。

93.5.7金         はれ

 きょうエジプトを出国する。もう終わりだ。はやいものだ。せめてもう1週間いたい。これでは往復の航空運賃がもったいないというものだ。9時15分にホテルを出た。途中少し遠回りをしてサダト大統領の暗殺された所によった。そこは陸軍と空軍の兵士がサダト大統領の墓を守っていた。墓は中空のピラミッドのようなかっこうだ。

 空港に着いた。佐藤さんにお礼を言おうと思っていて、なんだかんだとしているうちに出国者しかはいれないエリアに来てしまって言いそびれてしまった。ジュースを飲んで便所の番人にチップを出したらエジプト・ポンドは使いきってしまった。あまりにジャストすぎる。

 12時半に飛行機は飛んだ。成田につくのは明日の12時だ。みかけ上まる1日だが、時差があるので18時間だ。とびたつと同時ぐらいからいねむりをしてふと下をみると海から陸にかかるところだ。シナイ半島か、アラビア半島かはわからなかった。テレビの調子が悪いみたいで地図をうつしてくれないからだ。だいぶたってからうつるようになった。スピードは時速1000キロだ。行きのときここら辺は830キロぐらいにスピードダウンしたが帰りは逆にアップしている。ジェット気流があるのだろう。食事のとき以外はほとんど寝てすごした。

93.5.8土         はれ

 バンコクに着いた。出発は2時間以上ある。ジェット気流ではやく着いたのじゃあないだろうか。

 免税店で少し買い物をしてぶらぶらした。

 出発した。マニラに着いたらしいが寝ていた。出発後食事がでるはずだが寝ていたのでパスされたようだ。

 成田に着いた。荷物がなかなか出てこなくて心配した。きりきりでスカイライナーにのれた。新幹線は名古屋まで行って名鉄でもどることにした。こだまで豊橋までだと時間がかかりすぎるからだ。

 

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