ギリシア
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2001年5月22日から6月6日 

今回の旅行

16日間でアテネ、アポロン神殿の聖地デルフィ、ヌーディストビーチのあるミコノス島、ミノタウロス伝説で有名なクノッソス宮殿遺跡のあるクレタ島をまわった。コリントス、エピダウロス、ミケーネも車をチャーターしてアメリカ人家族と相乗りで行った。エーゲ海クルーズにも参加したかったが時間がないのとタキシードなどは持ってきていないのでやめた。

2002年から市民が使う通貨もユーロになるのでこの3年間でフランス、イタリア、ギリシアと最後の各国通貨を集めた。後、ドイツに行ってマルクも集めたいが無理みたいだ。

アテネ

アテネ空港を出ると新しい高速道路が伸びている。高速道路の真中は広く空いているがたぶん鉄道を敷設するのではないだろうか。2004年はアテネオリンピックだから、道路でも整備中がいたるところであった。ローマ文明に先立つ、ギリシア文明として期待していったが少し、がっかりした。長くローマ帝国の首都、その後もカトリックの総本山として歴史をあゆんできたローマと比べると他国の支配にあった時間が長期のアテネでは保存されている文物が少ないように感じた。アクロポリスにあるパルテノン神殿も内部が全面修復中でオリンピック前には完了するのではないだろうか。アテネオリンピックのとき、マラソンはマラトンからアテネまで走るのだろうか興味がわいた。

パルテノン神殿は岩山の上にあり、下を見下ろすと屋上がレストランになっているところが何箇所か見えた。そこからアクロポリスを見上げて食事をしたら良い気分だろうと思った。数日後の夕食にはぼくもそうした。

ミコノス島

現地の旅行社で船とホテルを手配してもらった。スピードボートで約5時間、この島にはヌーディストビーチが数箇所あるとガイドブックに書いてある。到着して初日パラダイスビーチというところにバスで行った。相当に混んでいて、ヌードの人はそうたくさんいなかった。バーが2,3軒あり、4時ぐらいからディスコのようにおどりはじめた。すると他のバーでもカウンターの上に乗って踊れとけしかけ始めてだんだん盛り上がってきた。たぶん夜になっても続いていることだろうが6時にはホテルに帰った。ホテルはバストイレ付きと書いてあったが風呂にはお湯も水もでないし湯船の栓もない。新しいホテルだから設備不良でもない。だいたいこんな草木もろくろくはえていない岩山だらけの島に観光客がおしかければ水不足はあたりまえだ。洗面台の水を飲むとイオン交換水である。実情は納得できるがこちらは風呂にはいれると思いアテネより高い宿泊料(アテネのホテルはシャワーでバスタブはない。)のここを選んだ。風呂にはいれなければ納得できない。風呂に、はいれないならちゃんとそのことを「風呂はあるがかざりだけです。」とか明記すべきだ。ホテルに言うと若い女の子が栓なんかない、そんなこと知るかという態度でさらに手配したアテネの旅行社にまで電話して、そこから脅しの言葉を受けた。「ここは日本じゃない。風呂にはいれないと言ってドアをけったり壁をたたけば警察に言う。明日にはおまえは囚人(プリズナー)だ。」と言う。(ホテルとの交渉でドアをおもいっきり閉めてやったことは事実だが)頭に来て向こうが警察だと言うなら先制攻撃をかけてやるとばかりに港まで延々と歩いていき、ツーリストポリスに実情を告発した。ホテルにもどると風呂の栓もあり、お湯もでるようになっていた。

翌日はさらに過激だというスーパーパラダイスビーチに行ってみた。ゲイがヌードで闊歩していた。通常、男女のカップルが歩いていると身長が違うため歩幅もちがい歩行の足がそろったりしない。しかしゲイの場合、男どうしで身長がほぼ等しい場合が多いのでゲイのカップルが歩いているとふたりとも右足がでたり、また逆足でも歩幅がほぼひとしいのでそろってしまう、軍隊の行進のような感じだ。ヌードで足が同期して歩いているのがなんとも不自然な気がした。

ミコノスタウンは歩行者専用ともいえる道の細い町で日本でも島に行くとそういう町に会う。しかし絵葉書のような白の壁で青の窓、道路は敷き詰めた岩の淵を白ペンキでぬった概観は日本にはまったくない、エーゲ海の島というにふさわしい。

帰りはここからクレタ島まで飛行機があるならそれに変更しようとしたが、ない。10時間もかかる普通の客船はいやなので半分の時間でいけるスピードボートに変更した。アテネにもどり、脅しをかけた旅行社に文句を言いにいったら10時間かかり閉店後にしか着かないはずのぼくが来て「警察に言ったのか。囚人にはならず、風呂ににもはいれたぞ。」という意味のことを言ったら、電話中の受話器を落っことすぐらいおどろいていた。

その後、オリンピック航空の代理店に行き、クレタ島行きの飛行機を手配した。これが次の失敗につながろうとはそのときは思ってもみなかった。クレタ島は大きな島なので複数の都市に空港がある。ハニアとイラクリオンにはそれぞれある。ぼくは注意してそれを調べずもちろんイラクリオンに行くものとばかり決めてかかって思いこんでいた。チケットを手にしたときもイラクリオンとは書いてなく。ハニアと書いてあったのだが英語のスペリングがCHANIAと書いてあった。これがギリシアのつづりではXANIAになる。そんなことは後で調べてわかったことで都市の名前と空港の名前が違うことはざらにあるので気にしなかった。いざ出発のためアテネの空港についてみるとどうもおかしい。くわしく聞いて、初めて別の都市であることがわかった。離陸直前に気が付いたので変更して目的地にはついたが金はキャンセル料などで余分にかかってしまった。

 

風車のあるミコノスの代表的風景、海辺には無数のレストラン           ミコノスタウンの典型的街路。石畳の目地はどこでも白くペイントされている。

デロス島

ミコノス島から遊覧船でデロス島に行った。古代ギリシアでペルシアに対抗するためポリスがデロス同盟を結び金庫がおかれたという島だがまったくの岩だらけで水も食料も持ってこなければならない。よくここに何万人も住んだことだと思う。その当時は緑があったのだろうか

クレタ島

ここは巨大な島だ。ここから南はアフリカ、エジプトだ。ここにはヨーロッパ随一といわれるサマリア渓谷がある。ヨーロッパ随一ならスイスかオーストリアのアルプスではないかとも思ったがけっこうなところだった。バスでもっとも高いところに行き、そこからくだり一方の登山つまり下山で渓谷美を楽しんだ。それでもあつくてあつくて汗だらけになった。海岸についたらビールと昼食をとり泳いだ。後はここから船にのるだけだ。

クレタ島といえばクノッソス宮殿の遺跡だ。島の一番大きな町イラクリオンの郊外にある。広大な遺跡をみてまわったが本当に古代からあったのか、発掘のさい作ったのかあやしい感じのものもある。これ以外にも宮殿遺跡が島には2、3あり、マリア遺跡というものにも行った。

海水浴シーズンになりつつあり、島内にはいたるところに海水浴場がある。昼休みが2時から4時までらしく、お昼に奥さんと子供で来て泳ぎ、その後、着替えていく人もいて優雅なものだ。ドイツ人またはドイツ語を話す国の人がやたらいる。ドイツ付近だと北海しかないので海水浴は同じEUだからこちらに来るのだろう。中にはドイツ人が経営するレストランもあり、バーにもドイツビールの銘柄がいっぱいある。ぼくもそこで何種類か飲んで昼ご飯にした。

イラクリオンの博物館に行った。ここでもアテネでもさらにはイタリアでも地震のある国なのに博物館の展示物になんの地震対策もしていない。ぐらぐらときて倒れたらこなごなになってしまうと思うがどうなっているのだろう。最近は日本の博物館では透明なナイロンテグスみたいなもので展示物が固定してあるがそういうことをしなくていいのだろうか。

 

クノッソス宮殿                                                      サマリア渓谷

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