スリランカ2013年
ホーム 上へ

 

スリランカ旅行  2013年10月9日〜10月29日 21日間 その2

   その1   その2   その3   その4   その5   その6

アヌラーダプラに向う

翌朝出発した。7時間かかるとのことだ。コロンボ郊外でP.S.J氏がどこかに電話して路地をはいっていくのでどこにいくのだろうと思っているとある民家についた。そこの主は日本語が話せ、日本にも行ったことがあるという。職業はアーユルヴェーダを所轄する省 (Ministry of Indigenous Medicine)の大臣秘書だと言い、名刺もくれた。たぶんアーユルヴェーダの専門用語を通訳できる臨時雇いの通訳者であろう (Coordinating Secretary)。居間には現大統領のラジャパクサと大臣、そして本人が写った写真も掲げてある。この人も当然のごとくアーユルヴェーダの偉い達人のことを話し、ぜひ行って1日で直してもらえという。

この家でスリランカティーを出された。昨日の奥さんの実家でも出されたが、出しますと言われてからかなり時間がたたないと出てこない。おいとましようとしても出しますと言って準備している最中に退出するのは失礼だから紅茶が出てそれを飲んでからにしようと思うがなかな出てこない。たぶんお湯を沸かすのに火力が弱いか何かで時間がかかるのだろう。紅茶が出て飲み、紅茶をごちそうさまとお礼を言って大臣秘書の家を出て再び出発した。

クルネーガラを過ぎてから道は広く舗装もよくなり快調に走ったが7時間たっても到着する気配はない。途中でP.S.J氏がアーユルヴェーダの偉い達人のところに寄るというので、まあどういう所か見るのも悪くないと思い同意した。しばらく場所を聞きながら走り到着すると、夕方なのでもう診療だか施術は大半は終わっていて人はまばらだ。待合室はオープンエアだが大きな日本の病院のロビーぐらいありかなり大きい。なんの葉だかわからないが手のひらサイズの葉っぱ8枚の上に500ルピー紙幣1枚(約380円)をのせて受付に出した。なにか、たぬきかきつねに化かされるような所作である。コロンボの病院で日本に帰国してから保険請求するためにもらってきたレントゲン写真を見せた。助手のような人がそれを見て、折れた直後なら直せるが5日たっているので直せないと言って断られた。ものはいいようである。仮に折れた直後に行ってもなんのかんのと言うだろう。仮に施術をしても完治しないだろうし、相手が外国人ならなんらかの弁明で断るだろう。ぼくはもし施術すると言いギプスを外そうとするなら断ろうと思っていたが相手が断ってくれてよかった。500ルピーも葉っぱも当然返してくれた。なお葉っぱは返してもらってから数えたのでP.S.J氏が渡したとき何枚だったかは不明。

きょうはアヌラーダプラから5kmぐらい離れているという村のP.S.J氏の家に泊まることになっていた。彼は単身でコロンボに来てタクシードライバーをしているが両親と奥さんと子ども3人は故郷で暮らしている、そして10日から、2週間に1度帰るとのこと。もうじき11月に、この地方の雨季が始まるがそのときは故郷の村で作付けなどの農業をして一段落するとまたコロンボに戻るとのこと。彼は男5人、女5人の10人兄弟の男子の末っ子だ。スリランカでは男子末子相続で彼が家を継ぎ両親と暮らしている。長兄は僧侶にしてビジネスマン(そんなことがあるのか疑問だが)、次兄はスリランカ軍にいてLTTEと戦い負傷し退役して船の関係の仕事についている。三兄は警官で奥さんも警官で警官の給料は安くても共働きだから総収入は多くなる。4兄がきのう泊まった保険会社員、それにひきかえ自分は不安定収入のタクシードライバーだと、あるとき、なげいていたが、ぼくがなぜ兄たちは安定的職業について収入も多いのにあなたはタクシードライバーになったのか聞いたら、わからんとはぐらかされた。彼の月収は2〜3万ルピーだという。多少のサバはよんで言ったにせよ、多くてもその倍程度5万ルピーだろう。トゥクトゥクタクシーは巷にあふれているし実車より客待ちの方がはるかに多いしメーター走行で走ると1回50〜200ルピーだから1日で1000〜2000、よほど多いときでも4000ルピーだろう。兄の保険会社員は10万ルピー(約76000円)。彼の数倍の収入となる。

ちなみにP.S.J氏の兄P.S.A氏と今回の専属運転手について話し合ったとき、P.S.A氏は燃料代1500ルピー、運賃3500ルピー、合計1日で5000ルピー(約3800円) でどうだというので、それで合意した。彼にとっては確実な収入になるのでよいのだろう。25年前に普通車のタクシーを丸1日専属したときは4000円ぐらいだった記憶があるので、ぼくにとってはまったく問題ない金額だった。なおガソリンは多くのスタンドで1リットル162ルピー(約123円) でスリランカ人の収入からするとかなり高い。

   

P.S.J氏と彼の使用するトゥクトゥクタクシー

さらに走った。アヌラーダプラとミヒンタレーの三差路をなんとミヒンタレー側に曲がった。そしてミヒンタレーの町の交差点ではさらにアヌラーダプラとは反対側に曲がったのでどういうことか聞いたら実はアヌラーダプラから5kmぐらい離れているのではなく40km離れているという、ぼくはきょうはあなたの家に泊まるがそんなに離れているなら明日からはアヌラーダプラのホテルに泊まると計画変更をした。日も暮れてから到着した。彼の家はかなりいなかで蛍光灯型電球が3、4個の暗い家でテレビと扇風機はあるが他の電化製品はないようだ。この家の広さでは彼が子どものころの10人兄弟と両親は暮らせないだろう。以前は別の家に住んでいたのか。途中、ぼくが買ってあげた酒屋で一番上にある酒を友人2人を呼んで計4人で飲んだ。ラベルをよく見るとアラックではなくラム酒である。価格は彼の半日か1日分の収入に近い1450ルピーだ。高くて飲んだことがないから一番上の棚のものを指定したのだろう。ちなみに酒屋は商品と店員は鉄格子の向かう側におり、鉄格子に開いた小さな窓で指定した酒と現金を交換するようになっている。酒のつまみはぼくが買ってあげたフルーツではなく、キュウリの輪切りと友人の持ってきたピーナッツだけの驚くほどの貧弱さだ。ピーナッツは日本なら売り物にもならない豆まきの大豆ぐらいの小さなもので、それを30ルピーで買えると言っていたがぼくは正直な論評はできないので黙っていた。後でやはりぼくが買ってあげたウッドアップルというものを食べたが、これも小さい。スリランカの農業は粗放農業に近い。雨季が近いので来る途中、各地で焼畑をしていた。友人2人は農民でひとりは危うく農業機械で指を切り落とすところだったということをいい、先端を怪我した指を見せてくれた。途中でP.S.J氏は鶏肉のかたまりを買っていたが、彼いわく肉を食べるのは彼がコロンボから帰るときだけにしているとのこと。いくら物価が安くてもそれ以上に収入が少ないので生活は苦しいし、電化製品は輸入品だからおいそれとは手がでない。彼が仕事で使っているトゥクトゥクタクシーも5年のリースで自分のものではない。しかし彼には節約してお金を貯めるという意識が少ない。リース落ちしたトゥクトゥクは安くリースできるのに新しい車両にするという。彼のトゥクトゥクはエンジンをセルモーターで起動できるが、他のトゥクトゥクでは手動レバーを引いてその力でエンジン起動してるものもある。十分将来も何年かは使用できるだろう。ぼくとの契約でかなり現金を手にしたら運転席の足元に敷く小さな敷物を3つも買って敷いている。ふつうなら足元に敷くぐらいなら客席に敷くものを買って違いをアピールするのではないかと思う。他のトゥクトゥクで足元に敷物を敷いているのを見たことはない。彼らはタバコを1箱買えず2、3本ずつ買っているが最近12本入り箱を買っていた。ささやかな楽しみかも知れないが、金が入れば使ってしまうのだろう。海外出稼ぎに行きたいらしく、ぼくに日本でのスポンサーになってくれと頼まれたが日本語の話せない人が来てもどうしようもない、日本人でも就職するのは困難な状況で来てもしようがない。日本は夢の国ではないと断った。中学生が見るような怪獣映画を見ていては日本語などの学習はできないだろう。なまりが強いが英語が話せるのだからアラブの国に行った方がいいのではないかと話した。彼が現在の状況から向上することはたぶんできないだろう。彼は相当以前にキュプロスに出稼ぎに行ったことがあるが、保険などは自分持ちで実入りは悪かったと言っていた。

ミヒンタレーとウィルパットゥ国立公園

翌日はアヌラーダプラをゲートウェイとするウィルパットゥ国立公園のサファリだ。P.S.J氏の家からアヌラーダプラに行く途中でミヒンタレーがあるので若干の見学をした。

  

ミヒンタレーの僧院跡の食堂でごはんを炊いた巨大な石の入れ物        僧院の規則が書かれた石版。ギプスの先端は被われていなく、指が出てしまうため、軍手をはいて保護した。

  

僧院の会議場跡              頂上にあるマハー・サーヤ・ダーガバ。松葉杖では上まで歩けないので断念

アヌラーダプラに着いたらまずホテルを決めて荷物を下ろした。ホテルのマネージャーが動物は2時ごろまでは休憩の時間だから2時に行けと言うので2時に開始できるよう予定を決めて、アヌラーダプラの中では共通券では見れないイスルムニヤ精舎を見ることにした。12時半にウィルパットゥに向けて出発した。途中でP.S.J氏がまたしても自分は行ったことがないとウソを白状した。いずれにしろ、たぶん4WDでないとサファリはできないのでひたすら進んだ。分岐点でサファリ用の4WDトラックを持った業者がいて乗り換えた。そして国立公園入口で入場料を払った。スリランカ国民は無料だ。こういうことは発展途上国ではよくあることで、アンコール・ワットでもカンボジア人は無料だ。タイの王宮もタイ人は無料だ。例外は中国で外国人も中国国民も同一料金でしかも外国人からみても高い料金だ。その上、頻繁に値上げしている。文化を通じて人民に奉仕するなどというスローガンは完全な死語であり、儲けることしか考えていない愚連隊連中だ。言うなれば文化を通じて人民を搾取するということだ。 参照、中国の入場料

  

イスルムニヤ精舎、後の岩山は展望台              イスルムニヤ精舎の涅槃仏

車両はハイラックスで荷台に3列ぐらいの座席を設けたものでオープンエアである。豹が飛びかかってきたらどうするのか聞いたが、そういうことはないと言うのみであった。実際は鳥、鹿などで豹も1匹いたが100mぐらい離れていたのでよくわからんかった。面積が愛知県の4分の1ぐらいあり、池が無数に点在していて別の池なのか1度見たところなのか区別がつかない。4時間半滞在して走り回ったが感激するところまではいかなかった。ただし、サファリのドライバー兼ガイドは長時間精一杯努力したと思う。

   

ハイラックスで出発                            鹿と遠くの方に鳥

   

鷲の仲間、ひょうもいたが遠くで写真にはとれなかった。象や孔雀も出てきたが、サファリじゃなくても道路でみることができる。

アヌラーダプラの遺跡               世界遺産 

10/16は朝から遺跡見学した。スリ・マハ・ボーディはブッダが悟りを開いた菩提樹の子孫だということで非常に崇敬されていて大勢が供え物をして熱心に祈りをささげていた。スリランカの仏塔はダーガバとよばれ、見た限りではすべておわんをふせたような半球の先端に尖塔があるタイプであった。

これらは現在でも信者が参拝に訪れる仏教施設でもあるため、脱帽、素足で入場しなければならない。ほとんど連続で移動するので脱帽が続き熱中症にならないか心配した。素足だと地面が日射で強烈に熱くなっており、やけどしそうになる。また仏像を背景にした記念写真は禁止されている。スリランカ人は無料だが、外国人は共通1日券を25USドルで買わなければならない。

  

スリ・マハ・ボーディ (ボーディは菩提樹のこと) 大勢の人が参拝にきていた。

 

ルワンウェリ・サーヤ・ダーガバでは車椅子を貸してくれ、車椅子専用道をガードマンが先導してくれた。右はダーガバを1周するペラヘラ

 

左のトゥーパーラーマ・ダーガバと右のランカラーマ・ダーガバ。どちらも石柱が残っているが昔は屋根があり、その柱として建てられたものだという。

 

左のアバヤギリ・ダーガバと右のジェータワナ・ラーマヤ、汗でカメラのレンズが曇ったことに気づかず撮影した。

  

かつて僧の沐浴場だったクッタム・ポクナ、なぜこんなに深くするのだろうか。右はかつて背後に菩提樹があったサマーディ仏像

  

敷地内ではオオトカゲが闊歩している。また町の食堂では曜日を縦軸にした妙なカレンダーを初めて見た。

   その1   その2   その3   その4   その5   その6